朝鮮考
-反日の源流-
「核兵器のない世界」という虚構
2022.8.18 首相官邸ご意見募集に投稿
「核兵器のない世界」は岸田首相の持論である。8月1日の核拡散防止条約(NPT) 再検討会議での演説でも、「被爆地広島出身の首相としていかに道のりが厳しいものであったとしても、「核兵器のない世界」に向けて現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなければならないと考える。」と訴えた。「核兵器のない世界」が求められる理由は、長崎市長が長崎原爆の日に述べた、「核兵器は存在する限りは使われる。なくすことが人類の未来を守る唯一の現実的な道だ。」に要約されよう。
「核兵器のない世界」が現実となれば、それは、人類にとって至高の幸せであることは間違いない。筆者もそう願う。しかしながら、自身に立ち返って少し考えれば分るように、そのような世界を人類が実現するようなことはあり得ない。何故なら、我々ホモサピエンスは、嘘つきであるからである。ホモサピエンスは進化の過程で、高度な社会性を身に着け、生物界の頂点に立った。嘘は、社会を円満に維持し発展させる上で、必要不可欠なものであって、我々ホモサピエンスは正常な成長の過程で、2~4歳頃から嘘をつく。加えて、地球上には、北朝鮮、イランなど「ならずもの国家(rogue state)」と呼ばれる、世界平和に対する脅威を画策する国家(あるいは体制)が存在するという現実がある。
「核兵器のない世界」が、全世界の核保有国が、核兵器を段階的かつ可能な限りの相互検証を行いつつ廃棄を重ね、実現されたと仮定してみよう。その場合においても、どこかの国が核兵器を隠し持っていないという保証はない。核兵器を廃棄して、全く存在しないというその国の主張に対して、存在することを証明することは不可能に近く、核兵器を隠し持った国、あるいはテロ集団が、頃合いを見て正直に廃棄した国々、および世界をその核兵器で恫喝することは十分想定されることである。「核兵器のない世界」とは、疑心暗鬼と恐怖に満ちた、「悪魔の世界」と同じことなのである。そのような世界は容易に想到されるため、世界最大の核戦力を持つ米国は、絶対、核を手放さないであろう。「核兵器のない世界」は虚構である。実現されることはない。
ここは核兵器があるという前提で、核軍縮するしかない。核兵器を使用すれば、必ず報復されるという核抑止のルールを徹底し、その下で核兵器を安全に管理かつ公正に運用する国際体制を構築し、その体制下において可能な限りの核軍縮をすべきである。
「核兵器のない世界」を目標に掲げ、世論を喚起しつつ核軍縮を行うというのは有効な手段ではないか、という反論も起こるかもしれない。しかし、これには問題がある。虚構を核心部に含む考えは、宗教と同様に危ういものだからである。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによれば、イデオロギーも自然法則の宗教と位置付けられている。共産主義社会の実現という虚構の下、この1世紀でどれほど多くの人たちが命を奪われ続けているか考えてほしい。翻って、日本について考えるならば、現在の日本は、中国、北朝鮮、ロシアという近隣の核保有国から恫喝されていて、未曽有の危機的状況にある。日本にとって、喫緊の課題は核抑止体制の構築である。米国と核シェアリングし、それを運用できる原子力潜水艦を配備し、同時に国民を守るための核シェルターを普及させる。そのためには、国民に核抑止体制の必要性を訴え、理解してもらわねばならない。岸田首相のように「核兵器のない世界」を目標に掲げ、世界に向かって旗を振り続けるならば、後戻りすることもできず、日本はその「核兵器のない世界」という虚構に殉じて、消滅することになるだろう。
岸田首相の出身地である広島では、多くの原爆被爆者を出した。原爆被爆者の組織、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)などが訴える「核兵器のない世界」は被爆者を代弁する声として、メディアに大きく取り上げられ、今や、誰も正面切って反対できなくなっている。
筆者は被爆2世であるが、「核兵器のない世界」は虚構であると考え、そのような世界を目指す、いわゆる平和運動を断固拒絶する。そもそも、「ヒロシマの核の原点」というのは、核を使用された国民からすれば、日本は報復核を使用できる世界で唯一の国であるということではないのか。そしてその上で、「日本は米国のような非道な国ではないのでそのような手段をとるつもりはない。」と考える。この原点に立ち返り、地に足の着いた議論をすべきである。
今、日本は、敵の日本に対する核使用を断念させるため、報復核としての核ミサイルを早急に備える必要がある。