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両班の末裔・韓国人Ⅰ

 

2014.3.8

  韓国の反日の源について 李氏朝鮮王朝時代の貴族であった両班(ヤンバン)は労働を卑しんで行わず、非常に自尊心が高かった。ここでは両班の末裔と称している現代韓国人の性格や振る舞いについて、19世紀後半に朝鮮を訪れた西洋人の両班についての記述をもとに考察してみたい。

 

  両班とは、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った身分階級のことである。 高麗時代に両班が作られた時は身分階級ではなく官僚制度を指したが、李氏朝鮮王朝時代には、良民(両班、中人、常人)と賤民(奴婢、白丁)に分けられる身分階級において最上位に位置していた貴族を意味した。(ウィキペディアより)

 

 李氏朝鮮王朝の時代が下るにつれ両班の数は増加し、李氏朝鮮末期には自称を含め朝鮮半島の人々の相当多数が戸籍上両班となっていた。現在の韓国人の大多数は両班の血を引くと称している。彼らは、両班は高い志操の精神をもっていたと考えており、その精神を両班精神、両班意識などと呼んでいる。李朝朝鮮における各階級の比率としては1690年の大邸における例としては、両班7.4%、常民49.5%、奴婢43%。つまり人口の半数近くが奴婢であった。1858年には両班の比率が48.8%、常民20.1%、奴婢31.3%であった。両班の比率が大きく増加している。(京城大学教授であった四方博氏の統計による。この統計は李朝の戸籍台帳を基に決定されたものである。)  

 

イザベラ・バード『朝鮮紀行』(1894年~1897年)より抜粋 

 朝鮮の災いのもとの一つに、この両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。両班はみずからの生活の ために働いてはならない。 両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。 非特権階級であり、年貢という思い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価も払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。 商人なり、農民なりがある程度の穴あき銭をためたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男はにせの負債をでっち上げられて投獄され、本人または身内の者が要求額を支払うまで毎朝笞で打たれる。あるいは捕えられ、金が用意されるまで両班の家に食うや食わずで事実上監禁される。

  日本が改革に着手した時、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。[搾取]と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。 

 

マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ(1866年、ソウルで処刑)『朝鮮事情』より抜粋 

 朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である。今日のような朝鮮の両班階級が成立して以来、すでに16,7世代を数える。当初から両班の数はかなりのものあったうえに、その後、驚くべき比率で増加し、現在、この国の大きな災厄となっている。なぜなら、両班階級の人口が途方もなく増加したため、彼らのほとんどが極貧に陥り、強奪や搾取で生活しなければならなくなったからである。 彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な手段を尽くし、それでもなお、望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。 何かの労働に就けば、確かに安楽な生活は保障されるであろうが、その代わり、両班の身分を剥奪され官吏の地位につける資格を喪失するため、彼らは労働することを拒むのである。 

 

  「小人身を労し、君子心を労す。」とあるように儒教の国、中国では労働を卑しんだ。朝鮮においても同様で身分制度で王族に次ぐ高位の両班は全く労働をしなかった。両班は李朝末期には人口の半分近くまで増えたが、これは支配階級としては異常に高い割合であった。両班は限られた官職を得るため、派閥を結成し、陰謀や策謀をめぐらせて派閥闘争を繰り返したが、その一方で官職につけない両班は膨大な数にのぼっていたものと考えられる。彼らは労働をしないため日々の食事にも困窮していたことは、当時の朝鮮を訪れた西洋人によって記述されている。そして、そのような両班は、地道な労働をしないでいかにして食うかということについて、必死で考え続けたことは想像に難くない。

 

  いかにして労せず、望むものを得るかという彼らが抱えていた問題の答えは、「朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。」というイザベラ・バードの記述にあるように、盗む側に立つことであり、盗まれる側(身分の低い階層民)に対して、たかり、寄生、搾取、ゆすり、強奪などの機会を常に窺い、機を見て実行するということであった。そのような両班の精神構造は、数百年にわたる不毛な派閥争いでさらに磨きがかかったと考えられる。根本の教えが「修身斉家治国平天下」といわれる儒教を積極的に取り入れた結果、李朝末期の朝鮮では「修身」の対極に位置する犯罪者まがいの人民が育ち、「治国」どころか世界で最も貧しく、最も不衛生で汚い国家が営われたということはまさに歴史の皮肉であり、ここを原点として現代の韓国・朝鮮を考えるべきと思われる。 

 

 朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。(マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』より抜粋。なお、同様な記述はイザベラ・バード『朝鮮紀行』にも認められる。) 

 

  李承晩は両班出身である。1952年1月、李承晩はいわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに、そのライン内に竹島を取り込んだ(外務省ホームページ)。そして1965年までの13年間に、日本人漁民3939人を抑留し、そのうち44人が死傷した。1965年、日本と韓国は「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」を結ぶことになったが、漁民たちを人質にとられた日本は、不利な「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」を結ばざるを得なかった。 交戦国でもないのに多額の賠償金を取られ、また、日本の刑務所に収監されていた韓国・北朝鮮の犯罪者472人の釈放と在留特別許可まで認めさせられた。まさにダブリュイ主教が指摘したような両班根性(精神?)が日本に対して発揮された典型例といえる。

  日韓併合は当時の朝鮮人の強い要望からなされたものでもあった。日本は朝鮮に対して内鮮一体の統治を行い、結果としてインフラが飛躍的に整備され、識字率が上がり、経済が発展し、朝鮮の人口は2倍、朝鮮人の平均寿命も2倍に伸びた。特に経済に関してはカーター・J・エッカートの「日本帝国の申し子」に「日韓併合時代の工業化の意義は多くの学者によって過小評価されているが、この時期の工業化が今日の韓国経済の形成に果たした役割はきわめて重要である。」とあるように日本の統治がもたらした肯定的な面についての実証的で客観的な評価があることを挙げたい。感謝されなくとも構わないが、侵略だ民族のアイデンティの抹殺だなどと日本が非難されるいわれは全くない。朝鮮民族の習い性として、そこには日本を貶め、韓国に対する立場を弱めて日本に贖罪と謝罪を要求し、日本を金蔓とし日本から1000年にわたって金を引き出そうとする賤しい両班根性が見られる。従軍慰安婦問題もこの流れで捉えられよう。また、最近の韓国の裁判所で相次いでいる韓国人徴用工被害者に対する国際条約を無視した賠償命令判決も、三菱重工や新日鉄住金などの資産差し押さえを念頭に対応を迫る、やくざまがいの恐喝であり、ここにも確かな両班根性が見てとれる。 

 

 

  

  このような「あらゆる手段を尽くして、それが卑劣な手段であっても望むものを手に入れる」という両班根性は、両班の血を引く韓国人に程度の差こそあれ、備わっていると考えてよいだろう。そして政治的・経済的な条件が整えば、集団モード的に朝鮮民族の特徴として顕われるようになると考えられる。 朝鮮人は悪人にクンをつけるが、韓国には詐欺(サギクン)と商人(チャンサクン)の2つにだけ、その呼び名が残っている(呉善花;続・スカートの風)。彼らにとって商売とは究極のところ搾取することであり、それが当然と考えているようである。相手の弱点を探り、あるいは作りあげ拡大し、搾取可能な弱者に仕立ててゆく。蛇の道は蛇のことわざ通り、日本人には見えないが、半島の韓国人・北朝鮮人にはそれらの点とつながりが良く見えるようである。在日韓国人・北朝鮮人の日本メディア、政治、宗教、右翼団体などへの浸透はこの布石と言えよう。 福沢諭吉が言っているように朝鮮と関わってはならない。両班根性でもって要求を突き付けて来る朝鮮人への対抗手段は、異民族にこれまで支配されたことのない日本人には殆ど欠如していると思わざるを得ない。関わらなければ、寄生朝鮮(韓国)は宿主から養分を吸い取ることができず立ち枯れになるであろう。日本人はこのような状態に至るまで動ぜず、辛抱強く待たなければならない。 近い将来、日本が韓国への援助を見直し、関わりを断つべく対応を変えた場合、韓国はあらゆる手段を講じてその阻止を図り、引き続き日本から金を出させようと画策するであろう。この場合、日本法人の在韓資産の差し押さえなども予想されるが、それよりも在韓の日本人をなんらかの犯罪容疑者に仕立てて抑留し、人質交換の条件で日本から金をゆすり取ろうとすることは、韓国人の両班根性から予想されることである。予言してもよい。これに関する危機管理も考えておく必要があろう。

 

 

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