朝鮮考
-反日の源流-
韓国がGSOMIAを破棄する理由 2019.11.20
日韓GSOMIA(軍事情報包括保護規定)破棄の期限(2019年11月23日)が迫っている。
韓国は日本が安全保障の理由で対韓輸出管理を厳格化したためGSOMIAを破棄するといっている。そして日本が輸出管理処置で行動を示さなければ、このまま破棄されることになるといっている。これは脅しである。梶山経済産業相が言うように、日本の対韓輸出管理の厳格化は輸出管理の国内運用の見直しであって、他国と協議して決定する問題ではない。それは二国間の軍事協定を破棄するか継続するかということと全く別次元のことである。ネット上では、北朝鮮の非核化に向け、日米韓が足並みを揃えねばならない時に、韓国は何故、単に北朝鮮や中国を喜ばすだけで、自国に不利となるようなことをするのかさっぱりわからないという声が相次いで上がっている。
その理由としては、国内半導体産業の失速化を防ぐ、法務部長官の指名後にスキャンダルが続出した曹国氏への国民の関心をそらす、および北朝鮮への配慮などいろいろなことが言われていた。ここでは、韓国人のルーツである朝鮮人のふるまいなど歴史的観点からその理由を考えてみたい。
理由の一つは、韓国は対韓輸出管理の厳格化で日本と対立しているが、そのもめごとに米国を巻き込み、GSOMIA廃棄に反対する米国を味方に引き入れようとしたのであろう。近隣の国とのもめごとに大国を巻き込んで決着をつけることは、古来より、朝鮮民族の得意業である。このことはかって、新羅が唐をそそのかして味方につけ、高句麗、百済を滅ぼして半島を統一したこと、および高麗が元のフビライ・ハンをそそのかし、日本を侵略しようとした元寇をみればわかるであろう。
二つはGSOMIAを一種の人質とみて、人質外交を行ったのであろう。李氏朝鮮には伝統的に人質を取って、金品をせしめる人質ビジネスが横行していた。同じ感覚で、人以外でも相手が手放すことができない貴重なものを一種の人質に取り要求を果たす。 2015年の、軍艦島の世界遺産登録に際して、日本は韓国側の百済に関する遺産登録に協力するということで、韓国は日本の遺産登録に意義を申し立てないという合意があったにも関わらず、日本は土壇場で世界遺産登録を一種の人質に取られ、韓国の主張する強制労働の表記を受け入れてしまった。しかし、今回のGSOMIA破棄は、日本への影響は限定的であるため、人質としての価値はそれほど高くないと韓国は思い始めたようである。
三つは、復讐を目的とした自傷行為を行ったのであろう。フランス人司祭・宣教師のクロード・シャルル・ダレの「朝鮮事情」(1874)に以下の記述がある。※
「朝鮮人は一般に頑固で気難しく、怒りっぽく、執念深い。大人は男も女もみさかいのないほど怒りを爆発させるようになる。怒 りが爆発したりすると、人々は不思議なほど安易に首を吊ったり、投身自殺をしたりする。些細な不快や一言の蔑視、ほんのなんでもないことが、彼らを自殺へと追いやっている。彼らは怒りっぽいがそれと同程度に復讐心に満ちている。例えば五十の陰謀のうち四十九までが何人かの陰謀加担者によって事前に暴露される。これらはほとんどいつも個人的な恨みを満足させるものであったり、かっての少し辛辣な言葉に対する仕返しであったりする。敵対する者たちの頭上に懲罰を加えることができるならば自分が罰せられることなど彼らにとってはなんでもないのである。」
この記述ほど朝鮮人の本性を見事に捉えているものはないとつくづく思う。韓国人のご先祖である李氏朝鮮人は人格障碍者であることは一目瞭然ではないか。週刊ポスト(9.13号)が、韓国人は過激に怒りを露わにする『憤怒調節障害』(間欠性爆発性障害)があり、10人に1人が治療を必要とすると書かれた記事を掲載し謝罪に追い込まれたが、記事の内容は150年前から知られていた事実である。何をいまさら目くじらを立てるかと思う。また、「朝鮮事情」には朝鮮人は怒りっぽいがそれと同程度に復讐心に満ちているとの記述がある。敵対する者たちの頭上に懲罰を加え、復讐することができるならば自分が罰せられることなど朝鮮人にとってはなんでもないのである。韓国のGSOMIA破棄により、自国が不利益を被ろうとも、米国が日本を叱り、日本の対韓輸出管理の厳格化をやめさせる。そして日本の国際的な価値を貶める。そういう発想は韓国人にはすぐに浮かぶのであろう。そして韓国人はそのやり方で日本に仕返しできたら最高と思ったのではないか。
その他、「朝鮮事情」から読み取れることとして、朝鮮人に裏切りはつきもので、それも決定的なシチュエーションでやられるということがある。軍艦島の世界遺産登録はその一例である。韓国人と付き合う上でこのことも頭に入れておいたほうがよかろう。
※「朝鮮事情」はダレが著した「朝鮮教会史」の序論である。ダレは朝鮮には入国しなかったが、マリ・ニコル・ア ント ン・ダブリュイ司教(1866年漢城で処刑される)が収集し、整理半ばの資料を基に、「朝鮮教会史」を著した。「朝鮮教会史」はきわめて史料価値が高いとされている。(ウィキペディアより)