朝鮮考
-反日の源流-
武漢コロナウィルス
日本の緊急事態宣言について
2020.4.23
武漢コロナウィルスが猛威を振るっている。このウィルスは、感染しても多くの人は症状が出ず、出ても風邪の症状で止まって治ってしまうので感染に気付きにくく、拡大しやすいという性質がある。その一方で、高齢者や持病持ちの人は感染すると重篤に陥りやすく、70歳以上では10%の致死率となる性質も併せ持っている。全くタチの悪いウィルスである。厚労省対策推進本部の押谷仁教授によれば、SERSとは全く別物のよくできたウィルスだそうである。政府は4月16日夜、ようやく全国に緊急事態宣言を出した。
パンデミックがいつ、終息に向かうのか、確かなことはだれにもわからない。
感染症疫学でよく知られているSIR数理モデルでは、一人の感染者によって生み出される平均の感染者数を、基本再生産数:R0と呼び、感染の強度を表す指標としている。それによれば、R0が1以下であれば感染は広がらず、1以上になれば感染は広がり、パンデミックが起こりうるとされる。WHOは武漢コロナウイルスのR0は1.4~2.5と推定している。国が緊急事態宣言を発するのは、感染拡大につながる3密(密閉、密集、密接)状態を抑え、R0を1以下に抑える狙いがあるからだ。住民に対して不要不急の外出を自粛するよう「要請」でき、事業者などに対しても店舗や施設の使用制限を「要請」できるという緊急事態宣言であるが、これにより急激な感染者の増加を防ぎ、医療崩壊を阻止することができると考えられているのだろう。その状態で、クラスターからの感染も封じ込めることができると期待もされている。しかし、社会・経済への影響を考慮すれば、このような強制性の無い緊急事態宣言でもその期間を永く続けるわけにはいかないだろう。緊急事態宣言の期間が終了した後に、人々が前と同じ社会生活を送れば、R0は速やかに1.4以上に戻ると予想されるので、再び感染者数が増加し、また緊急事態宣言を出すということが繰り返されることになる。理屈では、感染は全国民が免疫を獲得するまで進行する。免疫獲得者の全国民に対する割合を免疫率とすると、R0が1以上の状態でも、免疫率がある臨界値(1 - 1/R0)以上になれば、感染が広がらなくなり、パンデミックは終息する。これは集団免疫の考え方でもある。英国では、当初、その方針で対応していたが、医療崩壊を招くということで、後に方針を転換して、強力な社会封鎖を行っている。ともあれ免疫率を高くすることが望ましいのであるが、緊急事態宣言によってその期間、R0を小さくすれば免疫率は高くならないので、いつまでも、感染拡大におびえねばならなくなり、パンデミックの終息宣言は遠い先になる。しかし、ワクチンができれば免疫率が上がりコロナは終息すると考えられるので、それまで辛抱するしかないのであろう。WHOによると現在世界中で62件以上、ワクチンの研究開発が進められているらしい。安全性の確認を待って、投入が開始されるが、その時期は過去の事例から1年後となると予想されている。それは2021年の春以降となるが、米国ハーバード大学の研究者がサイエンス電子版に発表した論文では、2022年まで感染拡大は収まらないという予測もある。我々も2022年まで終息しないと心づもりしておいたほうが良いであろう。2021年に延期された東京オリンピックも中止となる公算が高い。武漢コロナ終息まで、非常事態宣言が何度も繰り返されれば、日本社会は精神的にも、経済的にも疲弊してしまいかねない。
今回のウィルス禍のような国家の緊急事態に対応する基本法というものは、日本にはない。日本で緊急事態宣言が発せられたとしても、それは改正新型インフルエンザ等対策特別処置法に基づくもので、基本的に要請である。在宅は強制されないし、都市のロックダウンもしようと思ってもできない。仏国のフィガロ紙など「日本の緊急事態宣言は見せかけだ」と言い切っている。日本人の清潔好みと、公徳心の高さに信頼して、我らの安全と生存を保持しようと発令を決意したでは、すまされない事態が起こるかもしれない。そうならないことを祈るばかりである。
なぜ、このようなことになっているのかといえば、日本国憲法に国家緊急権の記載がないからである。GHQが日本を二度と立ち上がらせないため、認めず、憲法への記載を拒んだためである。ここで国家緊急権とは、戦争とか内乱、恐慌、 大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処することが困難なような非常事態において、国家の存立を維持するために国家権力が通常の立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限と考えられている(秋山收内閣法制局長官、第 159 回国会 H16.4.20)。しかし、この国家緊急権は自民党の作成している憲法改正草案、第98条、99条に緊急事態条項としてしっかりと書き込まれている。我々は、直にでも緊急事態条項を盛り込んだ改正憲法を持つ必要がある。さもなくば日本は立ち行かなるだろう。日本は、必要性の原則(theory of necessity)に則り、緊急事態にあたって平時では違憲又は違法とみなされるような措置を柔軟に講ずることのできる英国・米国と異なり、厳格な法治国家であり、憲法に規定されていないことは何もできないからである。
コロナウィルスには7種あるが、その中で、致死率が高くパンデミックになりうるものは、SERS(2003年)、MERS(2012年)、及び武漢ウィルス(2019年)の3種である。17年前から出現し始め、その出現間隔も次第に短くなっている。グローバリゼーションが進んだためか、あるいは未知であった自然に人間が手を加えすぎたためか、パンデミックになりかねない危険なウィルスが頻繁に出現し始めている。実際、2020年3月に、またしても中国でネズミから人に移るハンタウイルスの感染が確認され、1人が死亡したという。新たなウイルス流行の懸念が広がっている。
一刻も猶予はできない。早急に緊急事態条項を盛り込むべく、与野党こぞって、憲法改正に取り組んでもらいたい。国家緊急権が国家存亡の危機において一時的であれ、立憲的な憲法秩序を停止し、内閣総理大臣などへの権力の集中と強化を認めるもので、危険であるとして一部の野党は反対の立場をとっているようだ。しかし、野党議員が真に日本国民の代表であれば、国民の生命と財産を守る上で必要不可欠な緊急事態条項を、改正した憲法に盛り込むことに反対するはずはなかろう。