朝鮮考
-反日の源流-
平和について 2019.6.19
地球上に最初の生命が生まれたのは38億年前といわれる。以来、自然淘汰という試練に耐え進化して、現在約180万種の生物がそれぞれの環境にうまく適応して生きている。我々人類、ホモサピエンスはその一つであり、直立二足歩行と大きな脳を特徴とし、言語能力を持ち、高度な文明社会を築いている。複雑な社会の問題を取り扱うとき、人間自体を基準として考えることは、意味のないことではなかろう。
仏教には不殺生の戒めがある。これは生命あるものを殺すなというだけではなく、生きてゆくには他の大切な生命を奪わざるを得ないことを鑑みて、自他の命を生かし大切に生きるということであるとされる。ここでいう殺生は意識的に行うことを指しているのであるが、今この瞬間にも、我々は無意識にすさまじい数の生命体を殺しているのである。殺生を嫌う平和主義者はこのことを知っているのだろうか。これらの生命体は体の内外に棲みつく100兆といわれるバクテリアやウイルスの一部で、体に害をなすものたちであるが、これらの生き物はお釈迦様には見えなかったし、想像だにできなかったろうと思われる。人体という生命体を維持するために、我々には病原体の感染を防ぎ感染した場合も病原体を殺す、免疫と呼ばれるシステムをもっている。皮膚や粘膜での汗、涙、唾液による物理・化学的防御、自然免疫と呼ばれる白血球による食作用・炎症反応による防御、さらに適応免疫と呼ばれる抗体やキラーT細胞による特定の抗原やがん細胞の排除等である。外敵を殺さなければ人体という組織の集合体は生きてゆけない。そして国家という組織の集合体もかくのごとしであろう。とくに適応免疫というものは抗原を非自己として検出する情報技術を駆使して抗原を排除する仕組みであり、抗原が自己に似て非なるものほど強く機能する。抗原の情報を鮮明に捉えるため、食物として消化される他の生物組織は、ブドウ糖、アミノ酸、脂肪酸等、単純な化学物質まで徹底的に分解され、生物学的な雑音が生じないようになっている。国家でいえば、ITを駆使して国家に害をなす分子を特定し、その害を徹底して防ぐスパイ防止行動にあたる。
細胞レベルではなく、人体のレベルでは、人間は脳活動により意識的に外部の敵に対して防衛行動を行っている。伝染病やインフルエンザ等が流行している場合、感染していなくても感染源の隔離や消毒・殺菌あるいはワクチンの接種等、外敵に対して防衛をし、場合によっては積極的に攻撃している。国家を人体に倣えば、生存を脅かす外敵には、軍事行動をとるということである。
進化の過程で、人類は生存を脅かす外敵を倒すため、様々な工夫を凝らしてきた。その一つが、武器の発明と改良であろう。獣骨から始まって石製、青銅製、鉄製と武器も進化を遂げ、その果てに、核兵器を手にするに至っている。現在、人類が手にする大量の核兵器は人類の滅亡と隣り合わせという危険な状態を作り出している。それを阻止すべく今、核兵器廃絶運動が世界中で広がっている。
しかし、核兵器廃絶は人類が人類である限り不可能であろう。困難な話し合いによって、もし、全核兵器保有国が核兵器廃絶に合意してサインしたとしても、完全に核兵器を廃棄させる手段が存在するとは思われないからである。人間がどれほど正直なものか、ずる賢いものか自身省みればわかることではないか。人間はロボットではない。仏でもない。仏性にも魔性にもなりうる人間性を併せ持っているから人間なのである。どこかの国が核兵器を廃絶したからといって、核兵器を隠し持っていないという保証はない。核兵器を廃棄して、全く存在しないというその国の主張に対して存在することを証明することは不可能に近い。もし、核兵器を隠し持った国、あるいはテロ集団が、頃合いを見て正直に廃棄した国々、および世界をその核兵器で恫喝することは十分想定されることである。ここは核兵器があるという前提で、核軍縮するしかない。核兵器を使用すれば、必ず報復されるというルールを徹底し、その下で核兵器を安全に管理かつ公正に運用する国際体制を構築すべきである。そのような体制が整うまでは、北朝鮮の核の脅威に対抗するためにも日本は独自の核防衛体制、例えば米国と核シェアリングを行うなど、を構築する必要があろう。
広島は歴史上初めて原子爆弾を受けた都市である。それ故か、広島市では「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」キャンペーンが行われている。核兵器廃絶は不可能であることは上で述べた。残念ながら世界恒久平和も実現不可能であろう。人間は欲深く、妬み深く、また怒りやすい生き物でもある。人間同士、民族同士、あるいは国家間での争いは避けられるはずもなかろう。もし、戦争がない状態を平和というのなら、広島、長崎に原爆が投下されて以来、地域限定の戦争はあったが、現在に至るまで約75年の間、世界大戦に匹敵するような大規模な戦争はなく、その意味で充分平和であったといえる。これは核による戦争抑止力が働いているからに他ならない。逆に、もし地球上に核兵器がなければ、抑止力が働かないため小規模な戦争が規模の大きな戦争に変質し、世界大戦が出現したかもしれない。「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」は不可能で矛盾したことを述べているといえる。
平和主義者がよく主張する「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」はこのように矛盾に満ちているにも関わらず、今や、誰も正面切って反対できなくなっている。平和主義は一つのイデオロギーとして、ユヴァル・ノア・ハラリのいう自然法則の新宗教となりつつあり、「核兵器廃絶」、「世界恒久平和の実現」、「戦争放棄」などはその教義となっているようにみえる。
「ヒロシマの核の原点というのは、日本は報復核を使用できる世界で唯一の国であるということではないのか。そしてその上で、日本は米国のような非道な国ではないのでそのような手段をとるつもりはない。」という意見もある。
我々は今一度、平和について考えてみる必要があろう。